「鬼滅の刃」は普通ではない

息子がなにかを始める前に「全集中」という言葉を使うようになりました。我が家でも最近流行りの「鬼滅の刃(映画版)」を見てきたためです。TVアニメは昨年ネット配信で見てますが、今回の映画はその続編という位置づけ。
「空前絶後の大ヒット」「千と千尋の神隠しを抜いた」との加熱報道を耳にしますが、コロナを発端に悪いニュースしかない(気がする)昨今、久しぶりの明るい話題で少し気持ちがなごみます。

これほどヒットする理由

よくご存じの方も多いと思いますので今更感はありますが、私の視点で「鬼滅の刃の普通ではないところ」なぜこれほどまでにヒットしているのかを考えてみたいと思います。
(まだ見ていない方はややネタばれを含みますのでご注意ください)

まず全体のストーリーをざっくり解説すると、家族団らん平凡だけど幸せな生活をおくっていた主人公の青年が、「鬼」という古来からの絶対的な「敵」により、いきなり家族を殺されてしまいます。深い悲しみの中、それをバネに努力し、人並み以上に強くなっていくという王道のストーリーです。小学生でも分かり易く楽しめます。しかしこんなありふれた解説でこの作品の魅力を伝えることは到底できません。

アニメにはやや残酷なシーンも出てきます。小学生低学年の息子に見せていいものか?最初はためらいもありましたが、今は「教育のためにも見せるべき」と判断しています。

これは娯楽アニメではない、教材だ

この作品が普通ではない絶対的なポイントは、主人公の青年が敵である鬼の心に寄り添う姿勢にあると思います。悪い鬼をこてんぱんにこらしめて「ふーすっきり」ではないんですね。
人を何人も食っている残忍な鬼も、元々は普通の人間だったんです。その時周囲から愛情を受けることができず、弱くて暗い心に覆われてしまい、醜い鬼に変わってしまった。主人公は死にゆく鬼の生涯を垣間見て、心を痛め、優しく鬼の手を握ります。もし人間だった時、親が/周囲がもっと愛情を注いであげていれば鬼は生まれていないんです。鬼の心に寄り添う青年の姿は優しさと悲しみにあふれ、敵を倒した喜びや傲りはそこには一切ありません。

現実社会でも全く同じことが言えると思います。
今の私は、精いっぱいの愛情を家族に注いであげれているでしょうか? 職場の仲間や同僚の心に寄り添ってあげれているでしょうか? ライバルに勝つことだけが目的になっていないでしょうか? ちょっとした心遣いの欠如が鬼を作ってしまうかもしれません。

生まれながらの悪人なんていない。好きでそうなった人もいない。そんなことを考えさせられる教材と言っても過言ではない作品です

私が個人的に一番気に入っている言葉は煉獄さんのセリフ。
「老いることも死ぬことも、人間という儚い(はかない)生き物の美しさだ」
限りある命。だから人間は今を精いっぱい生きるんですね。「老い」とはこれまでの精いっぱいの証。美しく老いていきましょう。

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