子供の「心」をはぐくむ方法

最近子育てに関する書籍をよく読んでいるんですが、ある本の中に面白い解釈が書いてありましたので紹介したいと思います。病院の待合室でたまたま手に取った本でしたのでタイトルは忘れてしまいましたが、大変興味深い内容でした。

「教」と「育」の意味

その本によると「教育」とは「教」と「育」の2つの要素がある。「教」とはまさに「教える」ことであり、知識やスキルを教える(覚える)こと。一般的な勉強がこれにあたります。
もう一つの「育」は「はぐくむ」であり、その語源は「親鳥がヒナを羽に包んで育てる」ことからきている。「教」とは違ってより精神的で人格形成に必要な部分であり、この役割は親にしかできない。そして「育」に力を入れるのは10歳以下の低学年時が勝負となる。

「頭・心・体」の3要素を育てる

これを読んで私が感じたのは「教」とは「頭」つまり脳をきたえることであり、「育」とは「心」を育てること、そしてもう一つ大切な要素が「体」をつくること。この「頭・心・体」の3要素を年齢に応じてバランス良くきたえることが子育てにおける重要なポイントなんだと思います。
多くのご家庭が頭と体の2要素を育てることに一生懸命で、「心」を育てることがおろそかになりがちではないでしょうか? 小さい頃から塾に通わせ、水泳を習わせ、帰ってきたらお母さんが勉強を見てあげたりして。大切な一人っ子だったらなおさらそうなりますね。頭と体を育てるための習い事/教材も山ほどありますので、それだけみんなが利用しているということです。そう考えると更に焦ってしまい、周りの子より少しでも早く始めないと! そうやって頭をきたえ始める年齢がどんどん低年齢化していきます。

しかしちょっと待って下さい。それで「心」のほうは本当に大丈夫でしょうか? 頭と体をきたえてる間に自然とはぐくまれるものが「心=精神」などと昔なにかの番組で言ってましたが、じゃあほっといてもOKですかね?
私はこれは大変危険な考えだと思っています。もし子供の最終目標が「良い高校を出て良い大学に入り優良企業に就職する」これだけであれば何も言いません。しかしそんな親はいないですよね。私も息子にどんな大人になってほしいか考えてみると

  • 夢を持ち、常に挑戦し続ける人になってほしい
  • それをおもいっきり楽しんでほしい
  • 信頼できる人間関係を築いてほしい

このような願いが出てきますが、これらは「頭」よりもむしろ「心」が大切。その心をきたえることが出来るのは10歳以下が勝負なんです、頭をきたえるのに忙しくて「あ、心をきたえ忘れてた!」では取り返しつかないんです。

子供の「心」をはぐくむ方法

では心をきたえる(はぐくむ)ために親として何をすればいいのか? 私が読んできた様々な書籍のポイントと、日々の子育てを通じて実感していることをミックスして超簡単にまとめると、その方法は次の3点です。

  1. 安心/安全な環境を用意する
  2. 親の役割は「最初のきっかけを作ること」
  3. 子供だけでおもいっきり遊ばせる

この中身を簡単に解説していきます。

安心/安全な環境というと「衣食住をととのえる」こう連想されるかもしれませんがそうではありません。安心/安全な環境をシンプルに表現すると「お母さんがいつもニコニコしている」そして「夫婦の仲がいい」この2つだけです。これだけで子供は絶大な安心感を覚え、居心地の良い家だと感じます。これが子供の心をはぐくむベースとなるんですね。シンプルだけどなかなか難しい。

親の役割は「最初にきっかけを作ること」
これについては以前の記事に記載してますので、こちらをご確認下さい

子供だけでおもいっきり遊ばせる

今回最もお伝えしたいのがココになります。低学年の子供にとって、子供同士から学ぶことが最も多く一番効果的です。どんな塾よりも価値があります。子供だけで楽しもうと考え、悩み、解決していく。そこに親はいないほうがいいんです

私が経験した事例を1つご紹介します。
私の息子(小学1年生)は仲の良い同級生をよく家に連れてきます。いつもの3人がY君、H君、S君。最初は4人仲良く遊んでおり、それを私は少し離れた位置で本でも読みながら見ています。そのうち当然のようにケンカが始まる。Y君がルールを破ってゲームコントローラーを独り占めしたようです。それに腹を立てたちょっとやんちゃなH君が、Y君のコントローラーを奪って突き飛ばしました。Y君はつまづき床にあったおもちゃに手をぶつけたらしい。「血が出た!」そう叫ぶと同時にY君が泣き出しました。さすがによその子供をケガさせたら大変、私は「チラッ」っとY君の様子を伺います。「血は見えないし、大丈夫そうだ」そう判断してしらんぷりを継続。突き飛ばしたH君も知らん顔でゲームをやってます。すると私の息子がH君に注意したんです。「H君が悪いんだからY君にあやまって!」いつの間にこんなにしっかりした息子になったんでしょう。Y君は号泣しながら私のところにかけ寄ってきて「お父さん見て、ケガした。ケガしたよ!」あたかも大けがしたようなアピールですが、うっすら血がにじむ程度でたいしたことない。とうとうH君まで泣き出しそうな目でこちらを見ています。

この場に立ち会った大人としてどう対処すべきですかね? Y君のケガを大慌てで手当てしますか? H君に無理やりあやまらせますか? 学校の先生だったらそうするんでしょうね。しかし子供たちはこの時点で十分貴重な経験をしました。突き飛ばされた体の痛み、突き飛ばしたほうの心の痛み。これは実際ケンカして肌で感じないと分からない感覚なんです。こうやって幼い頃に何度も小さなケンカを繰り返しながら、人の痛みが分かる強くて優しい「心」がはぐくまれていくんですね。この一瞬の出来事には一生の価値があり、そこに大人が口をはさむとその価値は薄れてしまう。

「そろそろいいかな」と思った私が子供たちを見渡して言った言葉は「はいっ、じゃあ、おやつでも食べよっか!」 いっせいに「はーい」と手を上げる4人。するとH君が「ぼく、おやつ持ってきたよ!」と言って自分のおやつをみんなに分け始めたんです。
私はこの少年たちが可愛くてしかたありません。その時私の頭の中にはベン・e・キングの「Stand by Me」が流れていました。

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